両腕に時計
私は今年いっぱいで定年を迎える、これと言って取り柄のないサラリーマンだ。
特に趣味もなく、仕事一筋で生きてきたようなものだ。
唯一の楽しみは、たった一人の娘の成長だったが、その娘も3年前から外資系商社で働くようになった。
と言っても未だに家族三人で暮らしているし、たまには一緒に食事に出かけたりして、仲良くやっていた。
しかし、そんな幸せな関係もいつまでも続くものではなかった。
ある夜、娘が私に話したい事があると言う。
薄々は気が付いていたのだが、結婚したい人がいると言うことだった。
娘ももう25歳になるのだから、ある程度の覚悟はあったものの、現実となるとやはりさみしいものだ。
ところが、問題はその相手だった。
会社の同僚のアメリカ人だと言うのだ。
しかも、2ヵ月程前にニューヨーク本社に栄転になり、娘のポジションを本社に用意していると言うではないか。
結婚する事はいたしかたないと思えても、いきなりアメリカへ拐われてしまうのは、我慢ならなかった。
「そんな会社、辞めてしまえ!」と思わず大声を出してしまった。
娘もどうにか許してもらおうと、母親を味方に必死に説得するのだが、私にも意地があり耳を貸さなかった。
今になって思えば、我ながら大人げなかったとは思うのだが、その時は正直な気持だった。
その後、娘は事ある毎に私と話そうとしていたのだが、なにかと理由を付けては逃げていた。
そのうちに母親を通じての説得になり、私も最後には「好きにすればいい、だが許した訳ではない。」と伝えた。
あの日以来、家族間の会話はほとんどなくなり、ただでさえ単調な日々だったものが、益々単調なものとなった。
そんな中、娘が渡米する日が決まったと母親から聞かされた。
娘が出発する前日、私は時計店を訪れた。
まともに口も聞かなくなってしまい、後悔の念は大きくなる一方なのだが、面と向かって祝福する気にもまだなれずにいる。
せめて日本にいる家族を思い出してくれるようにと、小さな置時計を日本時間に合わせて持たせようと考えたのだ。
どうやって渡そうかと色々と考えたのだが、結局は空港まで見送りに行くと言っていた母親に托す事にした。
出発の朝、わざと起き出さずにいるとノックする音がした。
娘である事は分かっていたのだが、私は入口に背を向ける様に寝返りを打った。
娘が部屋の扉を少しだけ開けて「いってきます・・・・。ごめんなさい。」と小さな声で言った。
私は肩越しに「気を付けてな。」とつぶやくように言うだけで精一杯だった。聞こえたのかどうかも分からない。
娘が出発した後、部屋の入口に目をやると、少しだけ開いたままになっている扉の下に何か小さな包みが置いてあった。
開いてみると腕時計だった。
文字盤を見ると13時間遅れになっている。
同じ事を考えたらしい。
こんな時になってから、親子であることをしみじみと感じて、天井を見上げながら一人苦笑いした。
娘が旅立った後から、夕方にウォーキングを始めた。
健康の為と言うよりは、いずれ産まれて来るであろう孫を抱き上げる体力を維持しようとしているのだろう。
いつものウォーキングコースの途中にある公園のベンチで一息つきながら、額に滲んだ汗を拭って右腕の時計を見た。
ニューヨークはそろそろ夜明けか・・・。
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